今週のお題「試験の思い出」
私は、学生時代、全く勉強しなかった。
だから、学生時代の試験の思い出ってない。
さすがに、高校受験は真剣に臨んだが、その時の記憶も今では全く残っていません。
たしか、面接もあったはずだが、それも全く記憶に残っていない。
面接官は担任の先生だったかな~?
33歳で勤めていた工場が閉鎖。
リストラされ、職業訓練校に入校したが、その時の作文と面接はなぜかしっかり覚えている。
受験者に結構、個性的な人が多かったですからね。
学校なので女の子もいるし、ここでいい出会いでもないかな~っていう期待もあったのでしっかり覚えています。
結局、入校はできましたが、いい出会いはありませんでした。
女の子はいっぱいいましたけどね。
男友達は当然できましたが、今では連絡を取っている人はいません。
社会人になり、自分の学歴にコンプレックスを持つようになり、業務に関する資格試験を積極的に受験するようになりました。
従事している仕事内容は同じなのに、大卒と高卒で給料違うことが納得できなかった。
また、転職時、私は農業高校を卒業したのだが、工業高校と農業高校で、採用する側の印象がかなり変わることにも納得できなかった。
能力的にそんなに差が出るとは、とても思えなかった。
戻れるものなら、小学生ぐらいにもどって猛勉強して人生をやり直したいです。
資格試験を受けに行くと、自分の受ける資格だけでなく、他の資格や学生が受ける模試や検定等、いろんな人が集まっています。
今、印象に残っているのは、中学生かな~?の女の子が会場を探していて、たぶん、あそこだろうと連れて行ってあげたら、係員の人に違いますと言われたこと。
とうぜんですが、女の子にすごくキレられました。
その女の子、試験に間に合わなかったのかな~?いらんことするんじゃなかったな~って今でもたまに思い出すことがあります。
また、ノイローゼ気味の受験者がいたのも記憶に残っています。
まあ、電験Ⅲ種の試験はそういう人がいても仕方ないかな~っとも思いましたが、近寄ってはならないと思いました。
みんなその人とよく距離を開けないで帰れるものだな~ってのが記憶に残っています。
そんなことよりも早く帰宅したかったのでしょうね。
漢字検定3級受験時は、受験者は、ほぼ、学生でした。
社会人はほとんどおらず、明らかに浮いていました。
だから、私もそう映っていたはずです。
準2級から受験するべきでした。
消防設備士の試験会場は、高等学校だったので、この蒸し暑い中、エアコン無しで受験か~って思っていたら、最近の高校はエアコン完備なのですね。
びっくりしました。
スタッフの方が明らかに高校教師で、社会人に対しての接し方でなく、学生に対しての接し方だったのが、印象に残っています。
公害防止管理者の試験は地獄でした。
1日で6教科受験ですからね。
朝早くから夕方までです。
ぎりきりでしたが、一発合格できてよかったです。
だいたい、他の試験でもそうですが、会場は大阪ではなく、神戸、できれば姫路にしてほしいものです。
田舎者が不利です。
朝が早過ぎます。
以上、おわり。