空白の戦記の中の一篇。
中等学校生徒である秀一は米軍の虜囚となる。
中等学校生徒と言っても秀一は鉄血勤皇隊に繰り入れられており、軍人だ。(二等兵)
秀一は米兵に友軍への投降勧告の役を薦められる。
「生きて虜囚の辱しめを受くるなかれ」という戒律が日本軍の伝統的精神であり、捕虜となるならばむしろ死を選ばなければならないことは秀一も承知している。
しかし、秀一の頭の中にひらめくものがあり、米兵の言う通り投降勧告の役目を引き受ければ、友軍陣地にもどれる。このまま米軍に処刑されれば犬死だが、友軍陣地にもどって戦闘に参加すれば、たとえ敵弾にあたって死んだとしてもその死は名誉の戦死をなる。と考え米軍を欺くことにした。
秀一の他にも1名大人の捕虜がいて、その人も投降勧告の役を引き受け秀一と共に解放される。
その人は、友軍に戻れば処刑されるのが解っているので、そのままどこかに逃げてしまう。
秀一にも逃げるように勧めたが、秀一は本気で日本軍の為に戦いたいと思っていたので、友軍に戻りありのままを上官に話す。
もちろん、秀一は処刑されるという内容。
捕虜になったなら自決しろってのは、そんなことして何か意味があるのかな~と私は思ってしまう。
艦が沈んだら艦長も死ぬみたいな日本の伝統は、あまりにも人材を軽視しており、経験値の高い兵士がまったく育たないので、そりゃ、戦争に負けて当たり前だと思う。
秀一も考えていたことだが、捕虜生活を送っていたので、少なからず敵の内情も見てきている。
それなりに貴重な情報を持って戻ってきている。
しかし、当時の日本は「生きて虜囚の辱しめを受くるなかれ」という精神論で終始している。
たしか、司馬遼太郎の坂の上の雲では、日本軍の伝統として地雷があっても前進する行為が描かれていたが、どうかしてる、いかれているとしか思えない。
もし、今後、日本が戦争することになったら、たぶん、こんなバカげたことはしないのだろうな~っと思う。
おわり
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