500ページ以上にも及ぶ長編小説でした。
遅読な私が読むのには2週間以上かかった。(図書館の貸与期間が2週間なので、延長して読むことになった。)
内容は、天狗党という水戸藩の尊王攘夷派の人たちが一橋慶喜を頼りに京都まで行く話です。
私はあまり歴史に詳しくないので、認識がずれているかもしれませんが、水戸藩内の門閥派がこの天狗党を疎ましく思い幕府に盾突く輩として貶めたのが悲劇の始まりのようです。
また、天狗党自体、一枚岩ではなく、軍資金集めのため、村に火を放ち、略奪の限りを尽くす輩も確かにいたため、門閥派としては、貶める材料が豊富にあったようだ。
この小説では、その代表格として田中原蔵という若者の集団の暴虐ぶりから始まっている。
ざんぎりカットした若い集団で、資金集めのため、かなり各村々で好き放題していたことが描かれている。
田中としては、この若い集団の士気を維持するため仕方のない一面もあったとは思うが、これはダメだなっと思った。
歴史にたらればを言っても仕方ないが、これらの集団がいなければ、若しくは、もっと天狗党全体をまとめ上げることができたのであれば、水戸藩の門閥派の策略にいいようにはめられなかったのでは?と正直少しこの小説を読んでいて思った。
勝手に尊王攘夷に感化された者たちが集まり膨れ上がる集団なので、末端の枝葉まで統率を取ること自体がそもそも無理な話なのかな?
また、田中らの行いに便乗して、天狗党と偽り、略奪する輩も絶えなかったようだ。
それらの行いは、そのまま天狗党のイメージとして、各村々に広がっていく。
門閥派としては、天狗党の足元をすくう材料がいっぱいということになる。
本体の武田耕雲斎を総大将とする天狗党は、礼儀正しい集団で軍資金集めため略奪するどころか、泊まる村々には、それ相応の宿賃を支払い礼を尽くしながら、慶喜を通じて朝廷に尊王攘夷を訴えるため京都を目指します。
目的は尊王攘夷で、幕府と敵対することではないので、極力各藩との闘いは避けながらの西上だった。
この天狗党(尊王攘夷)に理解を示す人々はかなり多かったようだ。
幕府に盾突くことはできないので、一応、抵抗したふりをする藩も多々あった。
天狗党の戦闘力を前にして太刀打ちできないと判断した藩もその中に含まれるが。
そんな天狗党であったが、慶喜の対応はあまりにも冷酷で、加賀藩経由で、天狗党を降伏させるのだが、その後の処置は悲惨だった。
慶喜という人の評価は、人によってどう違うか解らないが、私の浅い知識の中では、自分の保身しか考えていない無能以下のイメージがある。
この小説を読んでいても人の意見に左右されており、ちょっとイラっとくる。
自分自身の判断が大勢の人にどう影響するのかをちゃんと理解しているのかと思ってしまう。
この小説でも慶喜は幕府からの印象を良くすることしか考えていないような人のように描かれていた。
降伏後の天狗党の末路は悲惨で読むのが辛くなる内容だった。
おわり
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